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私のお金のブロックの正体

本記事は2013年5月22日(水)アメブロから転記、加筆修正

なかなか行動できない原因を見つけ、可能性を広げる

西東京市のセラピスト 齊藤秀行です。

 

今回は、「私のお金のブロックの正体」について書いていきたいと思います。

 

今回のブログ記事を読むことで、私と同じように

両親が戦後の貧乏生活で育った子供の世代が、

実は似たようなお金のブロックがあるかもしれない、

ということに気付かれる人もいるかもしれません。

 

また、今回の記事を読むことで、私のお金のブロックの正体が分かります。

今まで以上に深いところから癒される感覚が得られる方もいるのではないかと思います。

読んでいるだけで気付きが得られるブログだと思っております^^

 

 

私の父の生い立ち

私の父は昭和12年生まれ、母は昭和13年生まれです。

2人ともそんなにお金には恵まれているような家庭ではありませんでした。

 

父は9人兄弟の真ん中で、父の父は職人肌でとても怖い人だったそうです。

囲炉裏で悪さをすると、火鉢が飛んできたこともあるとか。

中学校を卒業して17歳から20歳まで1年間でお米6俵という、まるでおしんの世界のような

丁稚奉公にも行かされた経験があります。

丁稚奉公の経験があまりにも惨めだったようで、今でも酔っ払うとその話をすることがあります。

 

丁稚奉公が嫌で20歳になる前に途中で逃げ出し、富山の黒部ダムに着の身着のまま駆け込み、

そこでしばらくお金を貯めて関東にいるお兄さんのところへ行きます。

そしてお兄さんがお肉やさんの小売店を営んでいて、そこで見習いとして働き出します。

当時は小売店が大繁盛の時代でもありました。

無駄使いをしない父親は、どんどんお金が溜まり、やがて自分のお店を持つようになります。

 

 

私の母の生い立ち

それに対して母親はというと。母親は5人兄弟の長女で、一番最初の子供だったこともあり、

両親から可愛がられて育ちました。

高校卒業と同時に集団就職列車で東京に行きました。

東京でお手伝いさんとして数年間働いた小豆問屋さんで

たまたま同じく東京に上京した同級生を通じて、父と見合いをします。

 

 

両親の出会い

ちょうど結婚のタイミングで、新しいお店を出してお肉やさんをはじめます。

貧乏な時代を過ごしていた両親ですから、物凄く働いていました。

最初に兄が生まれ、8年後に私が生まれました。

 

 

私の生まれた1974年当時は精肉小売業は全盛期

私が生まれた1974年にはお手伝いさんが2~3人、見習いさんも2人ほど

いたくらい当時としては忙しい毎日を過ごしていました。

 

母親はあまりの忙しさに、私を出産する前日まで働いていたようです。

父は職人肌でお客さんとは世間話はしていたようですが、

そんなに営業マンというほどではありません。

母親のストレスは相当だったと思います。

 

私を出産したその日に仕事をしていたようです。

そして私をおんぶしたり、お店の中に私を置いて仕事をしていたようです。

 

物心ついた頃から、私は忙しい両親を見て育ちました。

両親にとってもかまってほしい小さい頃、両親がとても忙しかったのです。

 

お店と家はちょっと離れていたため、家では一人でいることもありました。

兄は8つ上でもあった為、友達と遊びに行ったり、家にいたとしても

力の関係でプロレス技をかけられて、それが嫌な私はお店に逃げ込んでは、

「お兄ちゃんがいじめる~」

とか言いながらも都合良く両親を味方にしていました。

 

 

プロレス技をかけられた兄は上司を投影していたことが後から判明

そんな兄からは、「お前はちくり魔だ」と言われてまたプロレス技をかけられたりしていました。

私が5歳で兄が13歳とかでしたから、力では到底かないませんでした。

なので、家で兄と2人でいることは当時私にとっては恐怖でもありました。

 

私も友達が出来始めると、友達と遊びに出かけるようになります。

お店の中には「どんぶり勘定」の語源の由来の一つにもなっている

お札やら小銭やらがたっくさん入っている箱がありました。

 

 

お金は湯水の如く湧いてくる感覚がありました^^;

そこの箱からお金を取って「これで遊んできてね」と言って

私は友達と遊ぶようになっていきました。

 

小学生当時の私は同級生の中でも湯水のごとくお金を使っていました。

だんだん調子に乗ってきて、お店のお金が入っている箱から

両親に見られないようにお金をとって、ポケットに小銭を入れたりして

親のお金を盗むことも覚えていきました。

 

 

私がこの数年でお金のトラウマをたくさん癒してきましたが、

・お金を親の経営しているお店から黙って盗む

・黙って取ってきたお金を親に聞かれても思わず嘘ついたこと

・お金がたくさんあるのにも関わらず、色々なお店で万引きしたり

(↑30年以上前なのでこれは時効です^^;)

 

などが根っこだと思っていました。

それでも実際に、これらの記憶を癒してから、お金に対しての不安って

かなり激減したことも事実ではあります。

 

 

大きなお金のブロックが取れた直後に会社のリストラ発表

311の影響で顧客の半導体工場が壊滅状態になり、製品が会社に来なくなり、

2012年3月期で会社が買収されてしまいました。。。

2012年後半は会社の経営不振もあって、基本給が何と10万以上も減額になってしまったのです。

 

 

年収でいうと残業して稼いでいた年収と減額した基本給での年収を比較すると、

減額幅のMax-Minは300万円以上になるかもしれません。

年収でいうと、残業しまくっていた35歳当時650万円とすると、会社売却1年後は

新会社の最低賃金に合わせられて年収は250万円以下と紙切れ一枚手渡されました。

 

ちょうど2012年の秋頃に給料の減額発表があるタイミングでプロ養成の実技指導がありました。

このトラウマを癒すことで不安って全くといっていいほど低減したので、

「これでお金持ち決定だー、ワーイ!」

という感じで、人生楽しくて仕方ない状況になってもいきました。

この感覚は2019年4月の私から見ると、まさにお花畑状態と言えるかもしれません^^;

 

 

お金と愛の交換

でも、もっと、もっともっと、もっともっともっと奥深いところに、

お金と愛を交換していたんだということが、ようやく分かったのです。

 

本当はとても寂しかったのに、両親にかまって欲しかったのに、

それを、ちゃんと両親からお金ももらっていながらも、それ以外にも

お金をたくさん使うことで寂しい、かまって欲しいという自分の気持ちをごまかしていたのです。

だから、かまって欲しいからこそ、両親のお金を盗んだのです。

 

 

ということに、滝ノーラさんのブログ記事を読みながら気付いてしまって涙が出てきました。

そうです!私が本当に欲しかったのは、お金ではなく、両親と一緒に遊んでほしかったのです。

 

でも両親は忙しくて時間がなかったので、

その代わりに小さい頃の私と遊んであげたい時間を

お金と愛を交換していたということになります。

 

 

特に両親が貧乏な生活を経験している子供の世代はこの記事を

是非とも読まれることをお勧めします。

私と似たようなところにお金のブロックがあるかもしれません。

 

まるで戦前戦後の高度経済成長の忙しい時代を駆け抜けた親の世代が

ベビーブームという子供とあまり一緒に遊べなかったという世代へと

集合意識のようなお金と愛の交換のトラウマ記憶でした。

 

そっか、これが愛なのか。というのがようやく分かったように思いました。

 

だからかー、というような記憶がいっぱい蘇ってきました。

 

こういう感覚が自分が好きなんだ、というような、

両親や兄や、そして親戚の人たちがたくさん集まって、

楽しんでいるような、そんな環境だったりしたわけです。

とても深い気付きが得られました。

 

これで、お金のブロックは相当激減したように思います♪

今後はどう変化するのか、とても楽しみです。

 

また、今回の記事で紹介していました、筋肉反射テストを使って

お金のトラウマをリリースするやり方は、こちらの記事でも紹介しています。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございますm(_ _)m

 

 

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